【創刊号】1998年第1号

記念すべき創刊号は、「ビジネスチャンス」8月号別冊として刊行。
巻頭特集は「闘魂スペシャル」と題し、プロレスラーのアントニオ猪木氏とタレント・実業家として活躍した長沢純氏、当時のネットワークビジネス業界を牽引した小川開士氏の鼎談を行いました。
※記事は1998年8月発行当時のものです
闘魂スペシャル
3人のカリスマが熱く語り合った夜


アントニオ猪木
本名=猪木寛至。1943年横浜生まれ。中学2年生の57年2月に一家でブラジルへ移住。60年に、来伯中の力道山にスカウトされてプロレスラーの道へ。89年夏には参院選に立候補し、初のプロレスラー出身議員に。98年4月4日、プロレスラーを引退。
長沢 純
本名=長沢毅(つよし)。1942年東京生まれ。61年に草分け的アイドルグループ「スリーファンキーズ」のリーダーとしてデビュー。68年には長沢プロダクション(現:㈱長沢企画)を設立。イベントや音楽CDの企画・プロデュースを行いつつ、タレントとしても活躍中。


小川 開士
1956年北海道生まれ。77年、大手販売会社にて営業成績日本一を達成。89年~95年には韓国と台湾のネットワークビジネス企業のコンサルタントとして、韓国では国内売上No1を達成、台湾でも驚異的売上を記録。97年、日本ヘルシーライフ㈱設立。
アントニオ猪木・長沢純・小川開士 3人のカリスマが語る
自分を信じて突っ走れ‼
本誌発刊を記念して、ビッグな鼎談が実現した。常に新境地を切り開き、レスラー引退後の今も次なる夢に挑戦し続けているアントニオ猪木。その生き方にあこがれ、己の信ずる道を邁進して成功を勝ち得た日本ヘルシーライフの会長の小川開士。この2人が、共通の友人である長沢 純をホスト役に熱く語り合った1時間半。男たちの魂の共鳴を聞け!
感性で決めたほうが正しいことが多い
長沢 猪木さんも小川さんも、僕も多少はそうかもしれないけれど、チャンスをつかんだからこそ、現在があるわけですよね。猪木さんの場合はどうだったの?
猪木 いやいや、まずは先輩からどうぞ(笑)。
長沢 僕の場合は、あとで気がつけば「あれがチャンスだったんだ」ということがありますね。無意識のうちに音楽をやっていたとか。で、気がつけば仲間と巡り合えていた。で、気がついたらアイドルスターになっていた……。だから自分の中では「チャンスをつかもう」という意識はあまりなくて、自然の流れの中で動いていたらそうなっていたということが多いですね。
猪木 いや、その通り。そんなに計算はないんですよ。あとで結果が出たからいろいろ言えるんだけれど、動いている瞬間は無我夢中です。ただ、ひとつ言えるのは、計算がないだけで感性でとらえることができるということです。「これをやったらいくら儲かる」ということよりも、「これがやりたいから、やらせてもらう」という感じです。
長沢 そうだね。
猪木 理屈で動くというわけじゃないですから、他人には説明しにくいですね。「これこれこういう理論からいえば、こうなる」ということが言えないんですからね。でも、そうやって感性で決めたことのほうが、正しいことが多いんですよ。プロレスの興行でも、「パッ」と企画がひらめく時がある。それを周囲に反対されて、「もういいや。みんなわからないんだから」と思って引き込めると、うまくいかないことが多いんです。自分がひらめいたことに対して「これしかないんだ!」という「絶対の世界」が、確かにある。
小川 わかります。直感ですよね、大事なのは。
長沢 この鼎談が始まる前に、まさに直感について小川さんと話していたんですが、猪木さんも小川さんも直感力に優れているんだと思う。
小川 見える時があるんですよ。その世界にいると自然でいられる、実感が得られる——そういう世界が。私の場合はネットワークビジネスであって、猪木さんの場合はプロレス、長沢さんは芸能界だったんですよ。その世界に自分があっていればいるほど、直感力も発揮されるんじゃないでしょうか。
長沢 「いかに心地よい時を過ごすか」という、猪木さんの言葉がある。直感のおもむくままにその「心地よい時」を過ごしているうちに、チャンスが転がり込んでくるみたいなところがあるのかなあ。計算ずくで動いていても、どうしてもそこに我がはいってしまう。そうなると「自分と」か「相手が」というものが出てきて、うまくいかなくなっちゃうのかもしれないね。
小川 自分の場合は猪木さんの存在が大きくて、生き方を真似しただけなんです(笑)。プロレスがあっていたらプロレスに弟子入りしているところでしたが、できなかった。キックボクシングも、ジムに通っていたけれど挫折した。で、たまたまネットワークビジネスに出会ったときに、まさに「これはオレの仕事だ」という直感が働いたんです。で、「この仕事だったらオレは絶対に一番になれる」と思ったんですね。でも最初はただの販売員のような存在だったわけですが、それが今のようにうまくいくようになったのは、やはりきっかけがあったんです。
長沢 それは聞きたいなあ。
小川 猪木さんがモハメド・アリに挑戦状を叩きつけましたよね。あの時、試合は絶対無理だといわれていたんですね。
確かにアリは「東洋の格闘家で自分に挑戦する人間はいないのか」と言って、それに呼応する形で猪木さんが名乗りをあげたわけだけれど、アリはもともとビッグマウスだし、いろいろな事情もあるだろうから、私も絶対に試合は実現しないと思っていたんです。しかし猪木さんは実現しましたよね。あれですよ、あれ。あの一件で、私は自分から仕掛けていく、人に「先生」と呼ばれる立場を自分から仕掛けていくというような大きな発想が持てた。大きな発想で、他人がハッとするようなことを企画し、演出していく――そういうことができるようになったんです。猪木さんも、レスラーを引退してもまた世界各地の格闘家を集めた団体UFOを旗揚げして世界中を巻き込むという、とんでもないことを考えていらっしゃいますよね(笑)。そういった発想が大事だなあと思うんですよね。

UFOを通じて「格闘文化」を世界へ、
日本へ発信する
長沢 いまUFOの話が出たんですけれど、この雑誌の第一号ということでもあるし、今いえる部分だけでもUFOについて教えてもらえませんか。

猪木 本音を言うと、引退後は何もしたくないんですよね。でもそれとは裏腹に「そうはいかない」という部分もある。
プロレスには昔から八百長論がついて回ってきました。野球や相撲も八百長と言われることがあるけれど、そんな時は必ず「プロレス(のような八百長)とは違うんだ」といった言われ方をされてきた。プロレスファンは別だけれど、大体世間の人たちはプロレスを見ようともせず、理解しようともしない――これが、私がずっと戦ってきた大きな理由なんです。ようするに、首根っこつかんでも、振り向かせてやる、ということです。
ところが政治の世界にいる間にプロレスの方向性が変わってしまったんですね。こう言うと、プロレス界の人々は批判された思って怒るかもしれないけれど、私の思い描いてきたプロレスとは違ってしまっているという意味で言っているんです。はっきり言うと、手がつけられなくなってしまった。戻っていって、どんなお説教をしても始まらないというところまで行ってしまった。だからもう、「好きなようにやれ」と。そのかわりオレも自分の精神を残せような、アントニオ猪木の遺伝子を残せるようなものをやって行こう、というのがUFOの旗揚げのきっかけです。
それから、「衛星放送の時代」と言われて久しいけれど、その反面ソフト不足に悩まされているという現実もある。さらに、「アジアの時代」とも言われている中で、実際に中国やインドへ切り込んでいってビジネスで成功した人ってなかなかいないでしょう。唯一、スポーツという文化は一般のビジネスと違って非常に入り込みやすいんです。言葉もいらないし。そういう中で、日本の格闘文化をどんどん広めていこうと。でも、「日本の格闘文化」というのは便宜上の表現であって、そういわないとまとまりがつきにくいから「日本の格闘文化」と言うんであって、本当は私が持っている格闘文化を世界へ、あるいは世界から日本へ発信しようということなんです。
長沢 モハメド・アリの協力もとりつけたとか……。
猪木 アリの参画については側近が反対すると思っていたんですよ。けれど、「これは我々二人の問題だ。側近には関係ない」と言ってくれたんですよ。
小川 これはすごいことになりそうだ(笑)。
猪木 最近は大学の卒論に「プロレスと社会」とか、格闘技関連のテーマを取り上げる学生が多くなってきているようで、それが私のところに送られてくるんですが、ある論文によるとギリシャ・ローマ時代は、格闘技は神に近づくための方法だったらしい。格闘技のそうした原点を、精神的な部分を、商業スポーツ全盛の時代の中で訴えていけるような団体にUFOをしたいなと考えています。誰かがそういうことをやらないと、格闘技のイメージも上がってこないですから。
そうした姿勢にアリも賛同してくれて、名誉会長に就任してもらえそう。また、もしかしたらアーノルド・シュワルツェネッガーにも協力してもらえるかもしれません。もっとも、これはまだ話を持っていっているだけでどうなるかわかりませんけど。
「迷わず行けよ。行けばわかるさ」
長沢 やおおあり、希望とか夢がないと、行動もついてこないのかな。というよりお、さっきの話に戻るけど、希望と夢を持って行動しているうちにチャンスが巡ってくる、と言ったほうが近いかもしれませんね。例の、猪木さんが引退試合の後に語った一休膳師の言葉も、そうしたものを表しているのでしょうね。
小川 私、あの言葉覚えています。引退試合で猪木さんが言ったのを聞いて、実に感銘しました。猪木さん、もう一度あの言葉を聞かせていただけませんか。
猪木 いいですよ。
この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ、
危ぶめば道なし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

小川 うわあ。嬉しいなあ……猪木さんの最近の本『猪木寛至』(新潮社)によると、この言葉は新日本プロレスの道場訓になっていると同時に、猪木さんの「人生そのもの」とありました。猪木さんの生き方をお手本にしてきた私にとっても、この言葉は自然に実についているんだと自負しています。
私もビジネスをやっていて、大きなお金を動かす決断を迫られるときがあります。そんな時は非常に恐いですよね、やはり。けれど、とにかく自分を信じて踏み出してみる。それが第一歩になるんですね。「迷わず行けよ。行けばわかるさ」ですよ、本当に。
今の不景気の世の中で、生き方に迷っている人はたくさんいますよね。その人たちにとって、この言葉は実に励みになります。より多くの人に、この言葉を知ってほしいな。
長沢 最近は情報過多で、選択に迷ってしまうこともあるんでしょうね。情報が多いということは知識も多いということで結構なんだけど、選択肢の多いところから的確なものを選び出していく直観力というものが鈍っているような気がする。
信じた道を追求するにも
健康な肉体があってこそ
長沢 これは読者の方々にも知ってもらいたいんだけど、猪木さんは昔から「青少年のために何か役に立つことをやりたい」と言っていた。そのひとつとして今現実化に向けて動き出していることがある。
猪木 私と握手しただけで意識が変わって積極的に人生を歩みだすことができたといった手紙をよくもらうのですけれど、握手をしたという他愛ないことでも、一歩前へ進んで握手を求めようと決断があったわけで、それによって青少年の人生が大きく変わってしまうことがよくあるんです。で、今回、同乗の隣に青少年の駆け込み寺のようなものを作ろうという計画があります。そこで選手たちと触れ合ったり、児童心理学の先生が指導したりというような。
長沢 栄養の問題も重要だよね。
猪木 子供達が事件を起こすと、学校や社会に原因を求める傾向があります。確かにそれも一つの要因なのでしょうが、もっと根底にあるものを誰も深く追求しないんですね。そこで、自分自身の経験とお医者さんの意見から総合すると、現代人はすべてのミネラルが不足しているんですよ。
長沢 ある研究者が猪木さんの食生活をたどって研究したところ、実は猪木さんの驚異的な回復力はっブラジル時代に食べた野菜類にものすごい量のミネラルが含まれていたという事実があるんですよね。
小川 やっぱり健康第一ということですよね。ちょっと宣伝になってしまうんですが(笑)、私どもの扱っている商品もマイナスイオンの効果で健康を増進させることができるものなんです。
猪木 今ノースサンタモニカに住んでいるんですが、樹木がたくさん茂っていて、なんだかすごく気持ちいいんですよ。神社仏閣に行く気持ちいいのと同じなのかな。
小川 あれは樹木から発散されるマイナスイオンの効果なんですね。都会はプラスイオンが過多なので、体が酸化してしまってよくないんです。

長沢 心理学者のカール・G・ユングによる「幸福の五原則」というのがあって、五番目から言うと、「朝起きたら、なすべき仕事を持っている」「ほどほどのお金がある」「美しいものを知る能力を持っている」「良き人間関係に恵まれている」と続いて、第一番目に「健康」が挙げられているんですよ。やはり「健全なる肉体に健全なる精神宿る」であって、自分の信じた道を突き進むにしても健康な体があってこそ。とにかく今日はどうもありがとうございました。
小川 私にとってはネットワークビジネスを始めた時から「いつかは猪木さんと対談をしたい」と思っていたので、まさに夢が実現したという感じ。本当に嬉しさいっぱいです。ありがとうございました。
猪木 この暗い時代には、ビジネスの成功者もぜひとも必要です。ぜひ頑張ってください。
